フランソワ・プルミエ通り44番地
メゾン設立
1944年8月にパリが解放されると、解放後の楽観的な空気に後押しされたピエール・バルマンは、ルシアン・ルロンを離れて 自身のクチュールメゾンを設立する決断をします。


パリ解放
ピエール・バルマンは回顧録の中で、友人であるデザイナーのクリストバル・バレンシアガとの夕食会で、 パリの街がついに解放されたと聞いた瞬間のことを語っています。ルクレール将軍の自由フランス軍がついに市内に進入し、眼下に広がる街が「ラ・マルセイエーズ」で沸き立つのを聞いたとき、 その場にいた全員が味わった、信じられないような興奮を綴っています。
変化の時
解放後の楽観主義に満ちた新たな精神はピエール・バルマンを突き動かし、ついにルシアン・ルロンの下を離れ、自身のクチュールメゾンを立ち上げることを決心させたようです。友人のアパート探しを手伝っていたピエール・バルマンの目に止まったのは、エレガントなフランソワ・プルミエ通りにある、以前はナチス兵に徴発されていた貴族のアパルトマンでした。


最初のBalmainの住所
所有者が建物内の全アパルトマンの商業用賃貸を計画していると聞いたピエール・バルマンは、その場で人生を変える決断を下します。フランソワ・プルミエ通り44番地は彼の最初のクチュールメゾンのアトリエ兼ショールームとなる運命だったのです。こうして創設者の名を冠したメゾン Balmainが誕生しました。そして、その象徴的な住所は、75年以上にわたってメゾンのパリの旗艦店であり続けてきました。
歴史ある住所、豊かなアーカイブ
"「メゾン Balmainは極めて幸運なことに場所を移動したことがなく、77年以上にもわたる卓越のデザインは、これまで保管ミスや紛失がほとんどありません。ですから、メゾンの豊かなアーカイブが所蔵する膨大なスケッチ、切り抜き記事、ビデオ、作品が私とチームに毎シーズン素晴らしいインスピレーションを与えてくれるのです。"
オリヴィエ・ルスタン
フォトクレジット
すべての写真はピエール・バルマンとフランソワ・プルミエ通り44番地
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ルクレール将軍の部隊のパリ入城
US Office Of War Information, Jack Downey, Wikimedia Commons
BALMAIN ARMY
メゾンのエートス
